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ポケモンレート対戦のあれこれ。

ポケモン レート対戦のことについて色々と。

僕とポケモンと。(日記)

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私はポケモンと共に歳を重ねてきた。

先に述べておくと、私は今、大学3年生で、

ポケモンに出会ったのは5歳の時だ。

 

この記事を読もうとしている人はどうなんだろう?

いつポケモンと出会い、どんな過程があって今に至るのだろう?

 

 

物事万事は、それを長年追い続けてやっと面白みがみえてくる。

 

しかし、
世の中には、興味深いものが多すぎる。
学問、スポーツ、芸術、音楽、ゲーム、漫画、映画、アニメ。
全てを楽しみ尽くすには一回の人生は短かすぎる。

 

だから、人はいくつかの趣味だけを選択し、それを糧として一生を終える。


私の場合はポケモンとサッカーと会計学であった。これから増えるのかもしれないが。。

これを読んでいる人は私とはまた違ったものを専門、生涯の糧としている事だろう)

 

全ての事象は、面白みが見えるまで、多くの時間を必要とする。

しかし、それぞれの専門家がそのコンテンツの面白みを他者に伝えることで、かかる時間を軽減できる。

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私の場合。 

全てはポケモンから始まった。
僕はポケモンから多くを得た。
『考える楽しさ』『目標を達成する喜び』
友達作りの架け橋にもなってくれた。
母や多くの人とのコミュニケーションツールにもなってくれた。

 

今、自分の人生はポケモンの歴史で振り返られることに驚きと喜びを感じている。f:id:okido117117:20170521211739j:image

 

この記事は(ポケモン赤・緑)から始まり

今の(サン・ムーン)まで話が進み、

再び、冒頭の話へと帰着する。

 

それまで我慢して、記事を読んで、共感してくれる方が1人でもいたら嬉しい。(๑>◡<๑)

 

※しかし、完全に自分語りの記録・日記なので

キツい』と感じたらすぐに読むのを辞めて

なんじゃこいつ、とだけ思って欲しい。

 

さて。振り返りを初める↓

 

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1999年、僕が5歳ぐらいの頃であった

婆ちゃんの家に遊びに来ていた4歳年上の従兄弟がポケモンをやっていた。これが僕とポケモンとの初めての出会いだった。

僕が興味を示したので、幸運な事に、従兄弟がそのゲームボーイカセットを置いて行ってくれた。

今思えばあれは人生最大の幸運だ。

その日から、僕のポケモンに囲まれた素晴らしい毎日が始まった。

 

しかし、面白いのは、僕より先に僕の母がポケモンにどハマりしたことであった。

後述するが、幸運な事に、この事がさらに僕をポケモン漬けの日々へと誘っていった。

 

僕と母はポケモン赤緑のストーリー攻略に明け暮れ、チャンピオンを倒してはデータを消し、チャンピオンを倒せばデータを消し。何度ストーリーを攻略したか分からないぐらいポケモン赤緑をやっていた。

ニドランを倒せばポケモンが強くなると従兄弟から聞いたのでニドランをいっぱい倒した。)

今思えば、努力値とこの頃に出会っていたが、それが何か当時の僕は知らない。

 

そうこうしている頃 

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1999年、ポケモン金、銀が発売された。

いつの間にか、母がポケモンポケモン青、緑、金、銀ゲームボーイ攻略本ポケモン図鑑を買って来ていた。

カセットそれぞれに出るポケモンが違っていて、ひとつのカセットでは全てのポケモンをコンプリートできないのが母は嫌だったのだろう

おかげで僕は全てをプレイする事ができた。

 

金銀で母は、ポケモンをコンプリートする楽しみに目覚めていた。全てのポケモンを捕まえ、進化させ、ボックスに図鑑番号順に並べていっていた。

僕は、日々追加されていくポケモン達に技を覚えさせ、育て、旅をした。

 

金銀ではひとつ事件がおきた。

 

トーリーを進めるのは僕の役目だった。

そして、次の町に行ったらそれを母に報告して、母がその町やその近辺のポケモン達を全種類捕まえて僕に返す。 そして、また僕が新しいポケモンから好きなやつを選んで次の町まで冒険した。

その約束のはずだった。しかし事件はおきた。

僕はゲームを起動した。

するとそこは見たことのない町だった。

なんと母がストーリーを勝手に進めていたのだ!しかもジムリーダーのカリンを倒してしまっていた!  

僕は激怒した。1日の間ポケモンを辞めた。

 

次の日、僕は冒険を再開した。

変わらぬ楽しい冒険の日々の再開だ。

 

トーリーをクリアした後、赤と同じように色んなポケモン達と何度も何度も四天王を倒した。

幸運な事に僕にはサブロムがあった。

銀を本ロムにして全種類のポケモンをキープ

金をサブロムにして何度もストーリーを楽しんだ。

 

 そうこうしている間に

 

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 2000年クリスタル版が発売された。

僕は6歳。

今までと同じように

トーリーを進めるのは僕の役目で
次の町に行ったらそれを母に報告して、母がその町やその近辺のポケモン達を全種類捕まえて僕に返す。 そして、また僕が新しいポケモンから好きなやつを選んで次の町まで冒険した。

そして、クリア後は色んなポケモン達と四天王とチャンピオンを倒しまくった。

  

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 2002年、ルビー、サファイア発売

僕は8歳、小学生になっていた。

この頃から母に頼らず、ポケモン捕獲から育成、ストーリー攻略まで全てを一人でやるようになっていた。

母は金銀、クリスタルからポケモンを連れてこれないことをかなり嘆いていた。

互換を切らないでいてくれる今のゲームフリーク、(増田ぁ!!)には本当に感謝の言葉以外ない。

 

僕はお受験をして附属小学校に入っていた。

回りはみんな附属幼稚園上がりで、既にコミュニティができていて、僕はそこに入りづらかった。

しかし、

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小学生1年生の時1人の友達ができた。

以後、『親友D』

(親友Dは小中高と学校が同じで、毎日ずっと一緒に行動した。僕にとって今でも兄弟みたいな存在だ。)

ひょんなことから家に遊びに誘ったのだが、

一瞬で仲良くなり、ポケモンを一緒にやったりするようになった。

ひとりっ子の僕にとって、母以外、初めてのポケモン友達でもあった。

こいつの存在がでかかった。

附属幼稚園上がりだったし、人間的魅力がでかかったこいつの周りには多くの人間がいた。

そのおかげもあって、

色んな奴らと遊んだり、ポケモンしたりするようになった!!

知識も、ポケモン所持数も多かった僕はかなり優越感に浸れた。(๑>◡<๑)

 

ポケモンから

『勝つことの喜び』『努力のたのしさ』

『考えることの面白さ』

『友達作りの楽しさ』

様々なことを学んだと今になって思う。

 

そして、覚えているだろうか?

ポケモンパンのシール

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当時はみんながこれを水筒や筆箱に貼っていて自慢合戦になっていたのだ。

母さんとタッグを組んでいる僕は向かうところ敵なしだった。グラードンカイオーガ、なんでもござれだった。

 

ポケモンパンの後処理を担ってくれた飼い犬のダイナ🐕(ウルトラマンダイナのダイナだ、僕が名前をつけた)

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チョコパンを食べさせて本当にすまなかったと思っている。 今はもう寿命を迎え、天国で安らかに遊んでる。

 

 

 

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2004年 エメラルド発売

僕は小学校3年生ぐらい。

僕はエメラルドを自分の力で発売前に手に入れた!!その方法は↓

 

この頃、親友Dと共にポケモンカードに明け暮れていた。

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(当時は下3枚、ニドキングニドクインジュカインを軸に戦っていた。)

ポケモンカードの全国大会を勝ち進み、勝つことの楽しさ』に味を占めた僕は遂に、

 

ポケモンゲーム対戦の公式大会に出場をした!!(キッズの部みたいなやつ)

そして中四国大会で準優勝し、まだ発売前だったエメラルドを大会景品として手に入れた! 

(決勝は自爆ゲンガーにカイオーガグラードンを倒され、敗れた。)痛烈に覚えている。

 

ポケモン対戦の魅力に取り憑かれた僕は

バトルフロンティアにどハマりした。

 

努力値種族値、性格 を理解し

日夜、研究を重ね、フロンティアブレーン撃破に向けての挑戦を繰り返した!!

(こらえる、起死回生 ヘラクロスが好きだった)

 

 

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2005年、ポケモンXD発売。

僕は小学校4年生ぐらい。

このゲームも思い出深い。ゲームキューブなので、テレビ画面を📺共有 しながら友達と一緒に攻略ができた!!凄まじく面白かった。

友達とワイワイやっていると、母も参加してきて中々楽しかった笑 

 

 

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 2006年、ダイアモンド、パール発売

僕は小学校5年生ぐらい。

  

この頃から思春期に差し掛かかり、僕は大きく変わり始めていた。

学校で1番足が早かった僕はサッカーを始め、短距離の陸上大会にも出始める。泳ぐのも早かったので水泳の競技大会にも出た。

 

足が早かったおかげでなんかモテた。

初恋の相手に告白され、調子に乗り始める。

そして、カッコつけ始める。

 

これが大問題!!早めの中2病の発症。

この影響からか

ポケモンをガキの遊び』と断定し、距離を置き始める。 

大事なこと↓

【僕達、ポケモン勢は感覚が麻痺してしまっているが、一般、多くの人はこの辺りの年齢(小5あたり)でポケモンを『子供の遊び』として距離を置き始めるであろう笑】

 

コロコロからJUMP

ポケカからデュエルマスターズ遊戯王

の移行したのもこの頃だった。

 (ランデスとロックが好きだった)

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勿論、そんな中でもポケモンは楽しんでいた

 

ゲーム内のモンスターボールにシールを貼って、ポケモンが出てくるとき、それぞれ違うエフェクトが出たことや、

シロナ戦のBGMの高揚感、四天王のとこから波乗りでいく謎の場所の怖さは印象的だった。

(始めて乗り込んだとき、セーブして身動きが取れなくなり、近くのゲーム屋に行って、任天堂公式がやっていた復元をやってもらった)

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この頃、母はビークインの進化に大苦戦していた。ミツハニーのレベルををいくらあげてもビークインに進化しないのである。

ボックスにはレベル100のミツハニー♂やレベル60の王者の印を持ったミツハニー♂が沢山いた。

 

 

そんな時

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今までとは違う感じの新しい友達ができたのだ。以降、『親友Y』

(親友Y、こいつも20歳超えた今でも親友以上の存在だ。性格がおっとりしているしポケモン、サッカーと趣味が完全に一致しているから楽しい)

偶然バスが同じで、家が近くだと分かり、遊ぶようになった。この時は遊ぶカードゲームが同じで、カードゲームで遊んでいた。

 ポケモンの話はしなかった。

 

こいつが数年後、私をポケモンに引きずり戻してくれる本当に大きな力になる。

 

 

 

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2010年、BW発売。

私は中学2年生か3年生ぐらいだった。

 アレ!?2006年から一気に飛んだぞ!?

 

この4年間、私はポケモンから遠ざかっていた。

 

附属小学校→附属中学だったこともあり

同じメンバーで遊び、サッカーをし、陸上大会にでる。小5と何も変わらぬ生活だった。

(ドルトムントに行っていた丸岡君と試合したのは痛烈に覚えている。クソうまかった。)

 

小5から中3で変わっているものは2つだけ

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1つは手に持っているゲーム機

僕を含め、周り全員がポケモンではなく、PSPモンハンを握って必死にミラバルカンを倒していた

それと彼女 。(この頃の彼女はとても良い子だった。ヘラクロスの育成論の話も聞いてくれた。しかも今では医学部生だ、何故捕まえて置かなかったのか過去に戻って自分を殴りたい)

 

 

しかし、そんな毎日の中に変な集団が現れた。

授業中に何かを必死にシコシコ振っているのである。部活の最中にも腰に何かを付けて必死に動いている。正体はこれだった↓

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そう、ポケウォーカー。

HGSSと連動したポケモンのゲームだった。

周りがポケモンをやり出した。

 

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懐かしさと面白さを再確認した僕は、

再びポケモンを始めた。

今まで蓄えた知識があったのですぐに追いつくことができた。

 

乱数調整を知らない当時の私達には5Vなんて到底不可能だったので、

みんなで、それなりにいい個体を産んでは自慢をしあい、自慢のパーティを作っては、何かをかけて勝負をした。

『かなり個体値の良いめざパ氷ライコウを使うずるい奴』(トイレに行っている間にヒマナッツと勝手に交換しておいてビビらせたりした笑)

『ほぼ理想個体のスイクンを使う怪物』

テッカニンバトンからのラムパルドを展開してくるマン』

色んな奴がいた。

僕は『ランターンフライゴンヘラクロスの蜻蛉、ボルチェンのサイクル』で対抗した。

サイクル思考はこの頃から変わらない。 

 

 

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 2012年、BW2発売。

私は高校1年生か2年あたりだった。

附属小学校→附属中学校とずっと一緒だった連中が県外に行ったり、高校がバラバラになったりして環境が大きく変わった。

 

ポケモンを一緒にやる相手がいなくなった。

 

親友Dは、1年間アメリカ🇺🇸に留学に行ってしまった。

私のクラスは高校3年間一度もクラス替えがないちょっと変わったクラスだったので、

のんべんだらりと大学受験勉強をする日々になっていた。

(3年間同じクラスだったので皆んなかなり仲良くなって、今でも長期休みには皆んな集まってワイワイ楽しむ。かなり良かった3年だったと今になってヒシヒシと感じる。)

 

しかし、誰かが一緒にポケモンをやってくれる環境がそこにはなかった。

そしてまた僕は少しポケモンから離れていた。

 

 

そんなとき、親友YがBW2をやり始め、やりまくっていた。

私がbw時代に、努力値個体値を教えた親友Yはポケモンにハマって、ポケモンガチ対戦をやり始めてていたのだ。

Yはネットに強いやつだったので、そこから逆に私はニコ生、ニコニコ動画を知った。

 

そこには素晴らしい世界が広がっていた。

自分以外にもこれだけポケモンをやっている人がいるのかと衝撃を受けた。

 

僕は役割論理にハマった。今でもこの成分は今も抜けていない。ptのメンツはみんなほぼS無振りのサイクル志向パーティだ。

 

それからは毎日のように塾の帰りに親友Yとマックに行って、

オンラインサブウェイf:id:okido117117:20170519150958g:image

フリー対戦をするようになった。

夢特性の解禁に心躍らせた。

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(このトレーナーネームは好きなサッカーチームの監督の名前だ。この頃からアーセナルファン、Goonerだった )

 

当時の目標はブラックカードになること

だった。

 

実家は田舎だったので高校や塾まで片道8キロをアルベルト🚴で20分で走破していた。

長い道のりだったか、家が近所で一緒に通学していた親友Yとポケモンについてあーだこーだ語っているうちに家についていた。

 

 

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WCCFウイイレをこの辺で始めた。

サッカーの試合を見るようになったのもこの辺からだ。

 

 

 

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2013年、XY発売。

高校3年生頃。

大好きなヘラクロスメガ進化した!!

レート対戦が切断したら負けになった。

レート対戦が楽しくて仕方がなかった。 

この時の目標はヘラクロスとレート2000だった。

 

高校が終わったら塾に行って、自習と授業。

その帰りは親友Yと一緒に8キロの距離を自転車漕ぎながらポケモンサッカーの話をした。

 

 Yがいない日は片道30分の自転車旅だった、暇を紛らわすためにWALKMANに音楽をガンガンいれて聴いていたらどんどんアルバムが増えていってどっぷり洋楽の世界にハマった

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勉強を終え、30分の長旅から帰宅したらポケモン育成や対戦をする日々。

とても楽しかった。

 

 

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2014年、ORAS発売。

私は大学浪人生であった。

 

自分の立てた目標をなんとか達成したかった。

父と母が了承してくれたことに、とても感謝している。

そして東京の予備校に通うことになった。

寝る前や、電車の中でポケモンレート対戦の思考を巡らせた。

レートをやる時間は殆ど取れなかったが、考えを巡らせて、たまーに潜れるだけでもとても楽しかった

この時の目標はヘラクロスとレート2100だった。(勿論、第一志望合格も目標だった)

 

ポケモン達が日々のプレッシャーを和らげてくれた。

 

 

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2016年

サンムーン発売&ポケモンGOリリース。

私は大学2回生。

 

大学1年の夏、

新しい目標を立てた。

公認会計士になる』だ。

そこから、大学と会計士試験の予備校の両立生活が始まった。

昼は大学、夜は資格試験の予備校に通う毎日。

 

大学では男4人組。こいつらと全ての履修を合わせ、全ての講義を一緒に受け、一緒に飯を食う。

運良く、4人が皆、何かしらの資格試験受験生だったため予備校がない日は夜遅くまで一緒に大学図書館で勉強できる。

 

そんな日々変わらない生活をしていた僕にポケモンGOが外を歩く喜びを見出してくれた。

 

朝、起きてポケモンを探しながら大学か予備校に向かう。

22時、真っ暗なキャンパスからの帰りに、カビゴンを探しながら帰る。

 

ポケモンに興味がなかった他の3人連中も昔はポケモンやっていた。知識がある。ポケモンの話が出来るようになった。一緒にポケモンで遊べた。

 

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今では8兄弟にまでなった。(みんな♂だ)

 

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あまり連絡を取らなかった母とも久々にコミュニケーションを取るツールとして一役かってくれた。

母は全てのポケモンをコンプリート、各3体づつは持っている。

 

 

サンムーンレート対戦は困りものだった。

 

メガヘラクロスがいないのだ!!

それで、目標をレート1位になる!にした。f:id:okido117117:20170520104027j:image

 ヘラは足枷だったのだろうか、S1、2、3は凄い勝てた。

 

そして、メガヘラクロスが帰って来た!

今の目標はヘラクロスと2000だ、もし達成できたら次は2100だ、その次は2200だ。

 

 

※振り返りはここで終わり。

 

 

以下、最後まとめ的なもの↓

 

【好きなことやると決めたこと自分で立てた目標。ならばトップになるまで諦めるな、やめるな。】と母に教えこまれ、育った。

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良く良く考えてみれば陸上も、水泳もサッカーもカードゲーム、ビデオゲームなんかも

全て、大会で優勝したり、トップレベルの知識を一応は得ている。(失敗したり、達成できていないものはたくさんあるが)

大学に入り会計学を学んだが、その頂きにある

公認会計士を僕は今、目指している。

 

 

自分が好きなことでは他に負けたくない。絶対に負けていないという自信がある。

これで、競争優位性を保てる。

 

母さんは中々良いように育ててくれた。

 

まだ恥ずかしくて感謝の言葉を伝えたことはないが、会計士試験に受かったら

この記事を印刷して渡してやろう笑

 

 

全てはポケモンから始まった。

僕はポケモンから多くを得た。

『考える楽しさ』『目標を達成する喜び』

友達作りの架け橋にもなってくれた。

母や多くの人とのコミュニケーションツールになってくれた。

 

ポケモンに本当に感謝している。 

 

↓↓このカビゴンは6歳ぐらいの時に買ってもらったもので、大学生になり、一人暮らしをするようになっても連れ添っている相棒だ。

こいつを見るたび、今までのことを思い出せる。

 

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DSを起動し、昔育てたポケモンを見ることでも小学校や中学や高校の友人、昔の生活を思い出せる。
互換を続けてくれているゲームフリークには本当に感謝の言葉しか出ない。

 

 

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物事万事は、それを長年追い続けてやっと面白みがみえてくる。

 

しかし、

世の中には、興味深いものが多すぎる。

学問、スポーツ、芸術、音楽、ゲーム、漫画、映画、アニメ。

全てを楽しみ尽くすには一回の人生は短かすぎる。

だから、人はいくつかの趣味だけを選択し、それを糧として一生を終える。

僕の場合はポケモンとサッカーと会計学であった。

 

面白みが見えるまで、多くの時間を必要とする。しかし、それぞれの専門家がそのコンテンツの面白みを他者に伝えることで、かかる時間を軽減できるのだ。

 

 

僕に、もし子供ができたら母がやってくれた様なことを子供にもしてやりたいなと思う。

 

そうやって、何かが紡がれていって、母が死んだ後も、僕が死んだ後も、僕達の影響が微量にでも残りながら世界は進んで行く。

 

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長々と書いたが、伝えたいことは

ポケモン楽しい』

『これからも宜しく』

 

ということだ(๑>◡<๑)!

宜しくお願い致します🌸

 

レート対戦の楽しさを書いた記事です。

読んでいただいて、色んな方にポケモンの楽しさを広げていってもらえると幸いです。

↓↓↓

 http://okido117117.hatenadiary.com/entry/2017/05/18/190703